空騒ぎ
※この話は「純愛ウイルス大作戦」企画の参加作品です。
最初に企画の説明ページをお読み下さい
また、企画趣旨とは別に、双花菖腐前提です。

  少しご相談したいことがありますので、お手隙の折にでも、お食事方々足をお運び願えませんでしょうか、と。絳攸が旧知の少女から丁重な手紙をもらったのは、一昨日のことだった。
 冗官に落とされた秀麗は現在謹慎中で、吏部に顔は出せない。かといって絳攸は私邸には殆どいないのだから、彼女から訪ねてくるには無理がある。一方で、彼女の父は何の処分も受けていないのだから、絳攸が邵可の家を訪う分にはなんら障害はないのだった。手紙はそうしたことを踏まえてのものに違いないが、それにしても、あの弱音をはかない少女が頼ってくるのだから余程のことだろう。
 相変わらず山盛りの仕事に無理に切れ目を入れ、夕暮れ時、絳攸は腐れ縁の相方と共に王宮を辞した。
 邵可邸訪問に欠かせない食材は、既に楸瑛経由で手配済み。藍本家のものとしては精一杯地味に誂えた軒に同乗して、紅区の下町近くにある邸へと向かう。
 全て自分で用意してもいいものを、勧められるがままに楸瑛の好意に甘えたのは、まだ叔父だと名乗りもあげていない養い親をはばかったためだ。いずればれて嫌味を言われるにせよ、隠せる間は隠したい。ささやかな願いは切実だった。
 ともあれ、久方ぶりに陽のあるうちの早帰り。まだ通りには人があふれ、屋台から威勢のいい呼び声も聞こえる。活気にあふれた喧騒に気持ちがほぐれる。店が開いている時間に帰るのなど本当にどれくらいぶりになるのだろう。明かりさえ月だけになる深夜の情景とは、まるで別世界で。
 秀麗の相談ごととは何だろうかと気にかかりつつ、どうしても気持ちは浮き立った。
 隣に座る楸瑛などはもっと露骨に上機嫌なのを隠さない。
「やっぱり、たまに早く帰るのはいいねえ」
 しみじみと言う。
 ―――お前にはたまでもないだろうが。
 言いかけて、絳攸は口をつぐんだ。昔は確かにその通りだったが、ほんの二月ばかり前、二人の関係が変化してからは違ったからだ。特にすることもないくせに、絳攸が帰るまで、彼もまた部屋を出ようとしない。ただ絳攸の顔を眺めて飽きないらしい。
 夜ごと花を渡り歩いていた男のこの変貌はあまりにもあからさまで、ついには、楸瑛は余ではなく吏部侍朗の護衛をしているみたいだな、と王にからかわれたほどだった。
 あまりのことにしばらくは、楸瑛の付いてこれない吏部に籠もっていたのだが、そういつまでもできることではない。逃げた分のつけが回って、この十日余りは集中的に王の側近業務の方をこなさねばならず、執務室で深夜を迎えるのが常態だった。
 ・・・・・・だから楸瑛の帰りも、同じだけ遅かった、ということだ。
「―――早く帰りたかったのなら、俺に付き合ったりしなくて良かったんだぞ」
 気づいてしまった気恥ずかしさをごまかすように、絳攸は文句を言った。我ながらつけつけとした物言いを、
「だって別に、一人きりの邸に帰りたかったわけじゃないからね」
 気にした風もなくにっこりと楸瑛が笑う。
 絳攸は返答に詰まってそっぽを向いた。もともと楸瑛は誰に対しても笑顔を出し惜しみする質ではないが、このところあまりにも大盤振る舞いで。うさんくさいんだと無理に非難してみても、心の内がざわめく。まことつける薬のない病は厄介だ。

 そうこうするうちに軒は目的の邸についた。下町寄りとはいえ一応は貴族街の一角。古びてはいても広さと格式は紅一門にふさわしい構えだ。いくら優秀でも本来家人一人で維持できるような邸ではない。それでも正面だけは体面が保たれていて、丁寧に手入れされた門を抜け、年降りた建物の正面に立つ。
 と、どこで見ていたのか、女主人である秀麗自ら出迎えてくれた。
「お久しぶりです、絳攸さま、藍将軍。無理にお呼びたてして済みませんでした」
「いや、構わん」
「本当に久しぶりだね。しばらく見ないうちにますます綺麗になって、せっかく持ってきた花がかすんでしまうよ」
 会わないうちに少女は少しだけ大人びて見え、一瞬かける言葉に困った絳攸の隣で、楸瑛はいつもどおり澱みなく愛想を言う。歯の浮くような言葉は既に習性だ。
 そうと知っていてもこの顔とこの声で言われては、年頃の娘ならのぼせ上がるものだが、秀麗は、ありがとうございますと礼だけ言って受け流した。さすが我が弟子と絳攸は意味もなく満足する。
「料理の方はもうしばらくかかると思いますので、その間居間でお待ちいただけますか?」
 先に立って部屋へと案内しながら、二人のどちらにともなく秀麗が告げる。もちろん客の二人に文句はない。
「・・・・・・それで、あの・・・・ 部屋に父もいると思うんですが」
 続けてそこまで言って、彼女はらしくもなく言いよどんだ。
「なんだい?」
「邵可様がなにか?」
 相談ごととはどうやら邵可に関することらしいと見当をつけて、二人それぞれに言葉を促す。秀麗は立ち止まって振り向いた。二人を振り仰ぐ顔が心底困惑したようで、
「あのう・・・ ご覧になったらお分かりだと思いますが。父と静蘭が、最近なんだか変なんです。喧嘩でもしたんじゃないかと思うのですが、なんだか凄くぎこちなくて」
 もし喧嘩をしたのなら、わけを聞き出して仲裁してもらえないか、と。
 頼む言葉はとても真摯なものだった。
 だがそれにしても、
 ――――邵可様と、静蘭で、喧嘩。
 結びつかない言葉に、絳攸は思わず楸瑛と顔を見合わせる。

 ・・・・・・果たしてそんなことがあるものだろうかと首を傾げながら、とにもかくにも、二人は努力しようと請合った。


   【後編】