出会い 〜楸瑛サイド 1〜
(・・・・・暇だなあ)
会試本番初日。午前の課題を終え、運ばれてきた中餐も終え、余った時間を楸瑛は持て余していた。
会試中は服さえ剥がれてお仕着せに着替えさせられるのだ。髪紐一本持ち込めない会場に、暇を潰せる何事もある筈がない。
周囲を見回せばしかし彼のように退屈を露にしている者は少数で。がちがちに固くなった面持ちで机に乗せた手を組んで、なにやら呟いている風なのや、死んだようにうつ伏せて動かないのや。こんな最初で力尽きていたらどうするというのか。余力を残した力配分がこんな時にも癖になっている楸瑛には笑止に思えるが、まあ他人には他人のやり方があるのだろう。
また周囲のものと話している者もいないわけではなかったが、その中に加わりたい気はしなかった。
この三日、与えられた宿舎の中だけで、近づいてこようとするものには飽きている。
国試受験に不正は効かない。家柄血筋も関係ない。だが一度及第すれば、その先は俗の俗なる権力の道だ。兄達の命で藍家直系を誇示するなりで宿舎に乗り込んだ時から覚悟はしていたが、室を出る度に会う者会う者見え透いた世辞ばかりを言うのでうんざりだった。
例外は、出会い頭に宣戦布告をしていった、自分より年下の少年ただ一人。なにかにつけあの兄達が意識している、紅家当主の養い子。楸瑛の方から話してみたいと思ったのは彼だけだったのに、うまくいかないものだ。彼とはあれ以来今日まで一度も顔を合わせなかったし、今も食事を済ませた後は席を立ってしまい、声をかける隙もなかった。
(・・・・・見ていて目に楽しいのも、あの子だけなのにな)
ただ眺めているだけでも時間が潰れそうなほど、綺麗な子だった。藍本家の血筋に漏れず、楸瑛は重度の面食いだったし、少々睨まれた位では堪えないほど面の皮も厚かった。何が気に入らなかったのか初対面で喧嘩を売ってきた、あの気のきつそうな少年をからかうのは、きっととても楽しいだろう。色目の薄いぼんやりした服を纏ってはいても、まさしく掃き溜めに鶴だったと、初対面の様子を思い出し。ふと、この時間まで帰ってこないのは、それで誰かに絡まれているのではないかと気にかかった。
国試までたどり着くには時間も労力も、多くの書物代も教師への礼金もかかる。必然的に、受験生にはある程度富裕な家の者が多いが、楸瑛のように本当の名家の直系は少ない。家にいれば何不自由なく遊んで暮らせるものを、わざわざ苦労した挙句に宮仕えするほどの利を見出さないからだ。
政権に口を挟みたければ、相応の地位にいる官を抱き込むか、見込みのありそうな者を育てて送り込むに限る。
だから、今現在楸瑛も寝泊りしている宿舎の中は、様々な名家の色に溢れていた。なにしろあの棟にいるのは各州の状元から探花までだ。それまで七家に縁がなかったものでも、州試をその成績で突破した時点で、働きかけがあったに決まっている。紅州状元などは当主代行から激励に貰ったという緋の帯を、それはそれは誇らしげに自慢していたものだ。――――あいにく色黒の芋男には、全く似合っていなかったが。
その中で、ただ一人、どの家の色も纏っていなかった少年は逆の意味でとても目立った。着飾らずとも人目を引く容姿をしていたからなおさらだ。他の受験生達は、彼が王の直轄地である紫州の出身だから、どことも縁が出来なかったのだろうと勝手に納得していて、彼の素性を知らぬようだった。
後見人のない、少年状元。精神的に揺さぶりを掛けて自滅させられれば、己の席次を上げられると、よからぬことを考える者がいても何の不思議もない。
(・・・・・・まあ、少々苛められたところで、音を上げるような子には見えなかったけれど)
少々考えて、楸瑛は様子を見に行くことにした。
なにしろ暇を持て余していたし。州試の成績からいって、あの少年も国試を上位で突破してくるのは間違いない。この先長い付き合いになるのだから、恩を売っておいて損はないに違いなかった。
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