出会い  〜楸瑛サイド  2〜

 試験会場用に用意されている建物は四棟、口の字型に連なった造りで、外に出るには門衛のいる控え室を通って逐一着替える必要があるが、内庭にならば自由に出られる。絡まれているなら物陰か、目立たない隅だろうと当たりをつけて、楸瑛は中庭に出てみることにした。
 年に一度の国試の時にしか使われぬと聞いたが、さすがに王宮の一部。手入れは行き届いて、冬枯れた木々の立ち並ぶ今もそれなりに情緒がある。真昼時、冬の最中ではあっても陽の当たるところはそれなりに暖かく、楸瑛は散策を楽しんだ。
 うっすらと雪の残ったその木々の間に探し人はいた。細い体を包む純白の進士服も、淡い色の髪も冬景色の中に溶け入りそうな風情だったけれども、なぜか強烈に目が惹きつけられた。
 驚かさぬよう静かに近づけば、なにやら拳を握って目の前の木を睨みつけていて。危惧したように愚劣な者達に取り囲まれたりはしていなかったが、この様子では先ほどまでやはり何か、腹に据えかねることでも言われていたのではないかと思わせる。
 楸瑛はらしくもなく掛ける言葉に惑い、結局ごく普通に、
「こんなところで、どうしたんだい?」
 と尋ねかけた。
 とたん振り向いた少年が睨み上げてくる。
 楸瑛はなんだか楽しくなった。正面から見れば心持釣り気味の瞳は菫青色、青味掛かった銀髪ともども藍州では見ない色だ。利かん気そうな表情とあいまって、つくづく好みだった。
(こういう子を泣いて縋り付かせたら、最高にいいんだけどな)
 つい不埒なことを考える。本気でそうしたいと思ったわけではないが、まあ、可愛い子を見たときの自然な感想だ。
「何を笑う!」
 顔には出していないつもりだったが、咎められて頬を引き締める。この少年は怒った顔も可愛いけれども、初対面からそればかりというのはいただけない。そろそろ、違う顔が見たかった。
「失礼。笑ったつもりはなかったのだけれど」
 丁寧に詫びたのに、なお少年の表情は固い。
「なにをしにきた」
「別に。ただ窓から君を見かけたものだから、少し話でもしないかと思って」
「藍家の者と話す事などない」
 けんもほろろとはこのようなことを言うのだろう。さすがの楸瑛も、少しばかり困惑した。
「・・・・・・私はなにか、君の気に障るようなことをしたのかな」
 感情的な非難は抑えて、罪悪感を煽るように見つめると、かたくなだった少年の顔が少し崩れた。
「お前は知らないのか? 俺は・・・・・・紅姓ではないけれど、縁の者で・・・」
「知ってるよ。本家当主の養い子なんだろう?」
 なぜか言いにくそうにしているので言葉を引き取ったら、だったら分るだろうと呆れたような顔をされる。
「俺はお前にだけは負けてくるなと言われている。お前だって言われているだろう?」
「いや、そんなことは、うちの兄達は言わなかったな」
 紫州状元はあの黎深が手ずから育てた養い子だそうだ。良かったな。お前の宮仕えもこれでいくらか楽しくなるぞ、と、言われたのはそんなことだけだ。
 思い返して、ふと気づいた。
「・・・・・もしかして、うちの兄達は、君の保護者殿には嫌われている?」
 兄達はいつも紅家当主のことを、根性曲がりで小賢しくて向こうっ気が強くって、ちょっとからかうとぞくぞくするほど冷たい目で見てくるのだと、楽しそうに語っていた。
 気に入らない相手のことは完全黙殺が常だから、よほど気に入っているのだなと疑ったこともなかったが。
 うっかりしていた。自分の兄達は良く、気に入った相手から嫌われるのだ。
 案の定、
「嫌ってるの段じゃない」
 少年は断言した。やれやれと、楸瑛はため息をつく。
「それ、多分、君の親御さんの方だけだと思うよ」
 すっと色をなした少年の顔を見て、慌てて言葉を繋ぐ。
「いや勿論、君の保護者殿が一方的に人を嫌うような人だと言いたいわけじゃない。ただうちの兄達には、よくあることなんだ。ちょっと・・・・・・好意の示し方が下手だというか・・・」
 上手い下手というよりも、最初から好きな相手に好かれようという気がなくて、ただ自分達が楽しいように構い倒すのでそうなるのだ。しかしさすがにそうとは言いかねた。
 真実をぼかしつつ黎深を持ち上げてみると、少年の目が居心地悪げに逸らされる。予想は付いたが多分まあ、紅家当主は一方的に人を嫌うことがよくあるのだろう。兄達の言葉からしても、他の者から聞く噂話からしても、黎深は人格者には程遠い筈だった。
「・・・・そうだな。行き違いというのは、よくあることだ」
 こちらを見ないまま、引きつった声で、それでもそんなことを言う。楸瑛は少し感心した。少しでも、養い親を悪くは言いたくないらしい。見上げた忠誠心だ。
「そう、よくあることだね。だから私たちまで、仲違いすることはないと思うよ。国試に通ったら、ともに国の柱になるのだし」
 白々しく大義名分を連ねて休戦を申し出てみる。言いながら、自分が案外本気でこの少年の気を惹きたがっていることを自覚して驚いた。単に見た目が気に入ったというだけではなくて、興味があるのだ。この自分に全く媚びてこない、どころか視界にも入れようとしてくれない生硬な少年に。
 返事を待つ間に、遠く鐘の音が聞こえた。昼の休息時間の終わりが近づいたことを示す鐘だ。
「そろそろ戻ろうか」
「そうだな」
 頷いて、少年は楸瑛が来た方向に歩き出そうとした。そちらから彼が来たので、戻ればいいと思ったのだろう。しかし、中庭をしばらく散策していた楸瑛が最終的にここにたどり着くまでには幾度かの方向転換をしていて、行くべきは正面の建物である。
 自分の脇を通り過ぎようとした少年の手を、楸瑛は慌てて掴んだ。
「どこへ行くの? そちらじゃないよ」
 驚いたように見上げた少年の顔が、首まで瞬時に赤く染まった。
「わ、分っているっ!」
 あまり見事な染まり具合に、楸瑛は悟るものがあった。
「もしかしてさ、君・・・・・」
「ち、違う! 厠へ寄ってから戻ろうと思っただけだ!」
「厠ってでも、私達が試験を受ける部屋から出て左にすぐだったよ。なにも別棟まで回ることはないだろう」
 冷静に指摘すると、
「嫌な奴だな、お前!」
 赤い顔のまま睨みつけてくる。なんだかそんな顔ばかり見ているというのに、
「・・・・・・君は可愛いね」
 思わずぽろりと本音が漏れた。

 暴れる彼に、これ以上遅れれば本気で試験に遅れるよと脅しすかして、腕を握ったまま部屋へと連れ戻った。からかうのは楽しいけれども、ここで試験を失格になったら、この先に楽しみがない。
 道々、強引なことをしているお詫びに、これから七日間会場と宿舎のお供をしてあげよう、なにしろ部屋も席も隣なのだから運命だよと言い聞かせる。少年はその時は不服そうに唸っていたけれども。
 午後の科目が終わった時、楸瑛が席を立つのを待っているのは明白だった。
「どうしても詫びたいというなら受け取ってやる、藍家の四男」
「その無粋な呼び方は嫌だな。私は藍楸瑛と言うんだよ。君は?」
「・・・・・・李、絳攸」
 後の世にまで双花菖蒲と謳われた、長い長い付き合いの、それが始まりだった。

【了】




ということで、出会い編でした。
一生が掛かった試験中、それも状元・榜眼の二人だとは思えない和やかさですが。
きっとリラックスがいい結果を生んだんですよ、そういうことにして置いてください・・・。
そして楸瑛には長い恋の始まりですねー。(絳攸が自覚するのはもっとずっと後です)

絳攸は州試を紫州で受けたのか、紅州で受けたのかは悩みましたが、とりあえず紫州で受けたことにしました。
予備宿舎も良く分らないところが多いのですが、秀麗が入っているので、都に家があっても数日前から入るものだということにさせてもらいました。で、秀麗の時も、結果的に上位4人が同じ予備宿舎だったようですし、悪夢の国試も、微妙だけどそれっぽい印象だったので、上位合格順に部屋割りしています。
でも、双花菖蒲の時の国試って、ほんとは、「悪夢の国試ほどではないけれど、藍龍蓮の時と同じくらい大変だった」筈なんですよね。
これでは何にもトラブルが起きていません・・・・。
龍蓮に匹敵するほどの騒動を想像できたら、バージョン違いをまた書くかもしれません。その時はお許しください。