後朝
「だから嫌だと言ったんだ」
掛け布にくるまったまま顔も見せてくれずに絳攸が、もう何度目かの文句を言う。その声すらもくぐもって、聞かせたくないかのようで少し寂しい。
「ごめん。私が悪かった。・・・・・だからそろそろ、機嫌を直してくれないか?」
ひたすら低姿勢に、楸瑛は愛しい恋人の機嫌をとろうとした。
やりすぎた自覚は嫌というほどある。今日が休暇なのをいいことに、夜が明けても離さなかった。いや離せなかった。その時間にはもう絳攸はとっくに意識を失って、ほとんど反応を返さなかったけれども、朝の光の中で見る恋人の裸身が淫らな跡を残して、己のなすがままで。かけらもあまさず自分のものだという気がして。昂ぶったまま治まらなかったのだ。
・・・・・・その武官の体力に付き合わされた恋人が、やっと意識を取り戻した今現在、もはや日は低く傾いて、茜色の空が美しい。灯りを灯すべき頃合だった。
「そろそろもなにも、目が覚めたばかりだがな」
「そ、そんなこともないだろう・・・」
結構長く怒ってるよ、君、と言いかけて、楸瑛は言葉を飲み込んだ。水を要求されたのが一時ほど前、それ以外の言葉を発したのが半時前。だんだん意識がはっきりしてきて、絳攸としてはこれからが本格的に文句をまくし立てる時間かもしれないと思い当たった。
「昨日は疲れてるから、嫌だってあんなに言ったのに。お前、少し触るだけだって言ったよな?」
「や、最初はそのつもりだったんだよ。本当に」
騙す気はなかったのだと強調する。自分でも、止められると思っていた。覚えたての子供でもあるまいし、その道では鳴らしたこの自分が、こんな風に暴走するなんて、己でも衝撃だ。
「嘘をつくな、嘘を。大体お前、これで二度目だぞ、二度目」
一向に信じてくれる様子はない恋人が、ようやく掛け布から頭を出す。睨みつけてくる目でも見れて嬉しいと思うのだから本当に末期だ。
出合った時から惹かれていた。多分その時すぐに口説けばよかったのだが。
絳攸の潔癖ぶりと同性だという引け目に躊躇する間に、惹かれすぎて、まともに口説くことも難しくなった。拒絶されるの怖さに、からかうふりをして触れるのがせいぜいで、これはいったいどこの誰だろうと己で己を笑う羽目になって久しい。
その長い長い片思いをようやくかなえてまだ二月足らず。毎日でも触れたいのに、夜をともに出来たのはこれでやっと片手の指だ。少々暴走気味になったとしても、仕方がないというものだろう。
と、自己弁護しようとして。
絳攸の、目じりに残る涙の跡が昨夜の彼を思い出させ、楸瑛は思わず息を呑んだ。
まずい。今またその気になってしまうのは絶対的にまずい。
「俺がいやだって言ってる時に限って貴様、好き勝手しやがって。何考えてるんだ、この常春!」
いよいよ勢いよく、可愛い口から罵声が飛び出す。
だって君が泣くからだよと言えれば、どれほど楽だろう。
そう、もう二度めなので分っている。
疲労が限界を超えているのに付き合わせると、涙腺だか理性だかが壊れるらしく、この気の強い恋人がぼろぼろ涙をこぼすのだ。もう嫌だといいながら、押しのけようとする手に力がなくて、縋りつかれたようで。
それが錯覚だとは、その時の楸瑛にもちゃんと分っていた。快楽を超えて既に苦痛の域に入ってしまい、本気で嫌がっているのだということも。
ところが、分っているのに辞められなかった。彼が己の腕の中で泣くことが、強烈な快感だった。これ以上は可哀想だと頭の隅で思いながら、もっともっとぼろぼろにして、突き上げて無茶苦茶にして泣かせたいという欲求の方が勝った。
――――ずっと知らなかったが、どうやら、己はそういう性癖だったらしい。
(・・・・兄達と違って、鬼畜ではないつもりだったんだがなあ)
いつだって、閨の中で余裕を失ったことなどなかったのに。無理強いなんて無粋な真似は、したことがなかったのに。肝心の、本命にだけ制御が利かない。
己で己が情けなく。衝動的に、楸瑛は掛け布ごと絳攸を抱きしめた。
「ごめん。本当にごめん」
肩口辺りに顔を埋めて、ひたすら謝罪を口にする。顔を見る勇気もないのに、手放すことが出来ないなんて、そのまま今の現状を表しているようだ。
声は真摯に響いて、まだ言い続けていた恋人の文句がやんだ。
「・・・・・じゃあ、もう無茶はしないな?」
ここで素直に同意すればいいことは分っていたが。今だけは、ごまかすのが嫌だった。
「ごめん。――――約束できない」
「なんだ、それは!」
頭を一つ、殴られる。絳攸が怒るのも無理はない。けれども。
「ごめん。努力はする。でも、約束できない」
また殴られる前に、しがみつくように抱きしめる。
「だって昨夜だって止める努力はしていたんだ。だけど」
くしゃくしゃに歪んだ泣き顔、彼の名を呼ぶ掠れた声。突き上げる度締め付けてくる中の熱さに、ためらいなどは羽より軽く吹き飛んで。
「・・・・・・その時にはもう、わけがわからなくなっていて。どうにも押さえが利かなかった」
「全然そんな風には見えなかったがな。いつも通り、余裕ぶっかましてるようにしか」
信じられないと責められる。絳攸より前に理性が飛んだわけではないので、それはまあそう見えただろう。
「でも、そうだったんだよ」
短く言って、溜息を吐く。
「情けないな。こんなことはこれまでなかったんだけれどね・・・・・ 本当に、君をこそ大事にしたいのに」
誰より何より、大事にして、大切にして。快楽だけを与えて、自分に溺れて欲しいのに。これでは愛想を尽かされてしまう。
「じゃあ、お前でも、記憶が飛んだりするのか」
心なし嬉しげに、腕の中の恋人が言った。
ここは喜ぶところなのかな、と心中で首をかしげて、楸瑛は黙っていた。飛んでいたのは理性で、記憶を無くすなんてもったいないことはしていない筈だ。昨夜の可愛かった絳攸については、仕草一つまで覚えている。思い出すとまずいことになるくらいに。
「・・・・・・ごめん、本当に」
絳攸の問いには否定も肯定もせず、かわりに伏せていた顔を上げ、視線を合わせて、楸瑛はもう一度謝罪した。多分きっと繰り返してしまう、この先の分も。
「昨日は本当に、死ぬかと思ったんだ」
返事は呟くように小さくて。
夕暮れ時、障子越しにさす日は赤く、恋人の顔も色づいている。
思わず口付けをしたら、平手で力強く張りかえされた。
「馬鹿やろう! お前は腹上死が理想かもしれないが、俺は絶対に嫌だぞ、そんな死に方!」
完全に復調した、いつもの元気さで怒鳴られて、楸瑛は思わず笑う。
「うん、気をつけるよ」
(・・・・・だけど、それだけ元気があるなら、きっと大丈夫だね)
さすがにこれ以上怒らせることになるのは避けたくて、後半は心の中で呟いた。
泣いている顔も、怒っている顔も、朝も昼も夜も。
・・・・・・見ていたいのは君一人。
<後書き>
なんだか、全部さらけ出して謝っているように見えて、実はそんなことはないお兄。へたれなんだけど腹黒い??気づかずごまかされている迷子は、ずっとこのまま騙されているといいと思います。