執務室の午後
「だから意地を張らずに私に断らせてくれればよかったのに」
「煩い。貴様になんか頼らずとも、こんなことは自分でできる」
とりわけて複雑な案件の書簡に頭を悩ませている間に、自分の後ろで双花菖蒲が言い合いを始めていた。言葉尻だけ聞けばとげとげしいが、絳攸の言葉が荒いのはいつものことだ。むしろ気を許している証だと、罵られている当人は大抵本気で楽しそうにしているから、口を出すだけ馬鹿を見る。
どうせ最終的には楸瑛がなだめてしまうのだから、とぼんやり思って、劉輝は頭を書簡に戻そうとした。が。
「主上、吏部から使いが来たので、少しあちらに戻ります。夕刻までに、これだけは終えておいてください」
扉が開いて、呼び出された絳攸がすぐに戻ってきてそう言った。
これだけ、と言って彼の机から移された山が高くて、劉輝は反射的に少し情けない顔になる。
「これを、夕刻までに・・・・?」
「そうです」
言い切る言葉に容赦がないのはいつものことだが、口論途中のこととて、今日はいつもより三割り増し語調がきつい気がする。とりあえず、与えられた仕事量が三割増しなのは確かだろう。
絳攸には逆らわず、劉輝は楸瑛のほうに恨めしげな視線を投げた。
ちょっかいをかけて、彼を怒らせたのは自分ではないのに、とばっちりもいいところだ。
楸瑛も自覚はあるのか、絳攸が出て行った後、珍しく手ずからお茶を入れてくれた。
「・・・・さっきは何の話をしていたのだ?」
ああいうやりとりの最中に邪魔をすると楸瑛が不機嫌になるからしないけれど、今ならいいだろうと聞いてみる。
「ああ、絳攸のところに、また縁談が来ているらしいのですよ」
楸瑛はあっさりと言った。もともと有能で眉目秀麗の出世株、血筋こそ少々怪しいけれど、紅尚書の後見があれば補って十分余りある。我が娘に最適の婿がねとみなす親は昔から多かったが、王の双花菖蒲と呼ばれるようになった頃から、また一際増えたらしい。
「何度も断っているのに、しつこい相手で。私に任せてくれれば、早いんですが」
そういえば彼はよく相棒に、いざとなったら私が断ってあげるよと口にしている。
ずるい、と劉輝は思った。
縁談を断るのに困っているのは、今はむしろ自分の方だ。なのに楸瑛は彼にはそんなことを言ってくれたことがない。
「楸瑛、そんないい方法があるなら教えて欲しいのだ。余に来る話も断りたい」
「え?」
楸瑛は少し、困った顔をした。
「いや・・・ ですがこの方法は、主上には使えないと・・・」
「どうしてなのだ?」
重ねて聞けば苦笑された。
「断るといってもですね、一言伝えるだけなんです。彼は私の特別な友人だが、それを知っての上での縁談か、と」
一瞬、それのどこが断り文句なのだろうと考えて、分った瞬間劉輝はむせた。
「嘘は言っていませんよ、嘘は」
言いたいことは分っている、という顔で楸瑛は、優雅に茶を飲んでいる。
確かに嘘は言っていない。彼らは特別親しい『友人』だ。
現時点では(あるいは今はまだ)、それだけだということを、毎日顔をあわせている自分は知っているが、そんな伝言を貰った方は間違いなく、彼らが『特別な』友人なのだと思い込むだろう。
藍本家の想いものに手を出す気かと凄まれて、なお話を進められる無謀な者は、国中探してもそうはいない筈だ。
「・・・・余はもう少し、楸瑛が言葉を選んでいるのかと思っていた」
口は上手いのだからもっと他に言いようがあるだろうに。
がっかりしたのもあって非難してみたが、色男の武官はさらりと肩を竦めて気にした風もない。
「どう繕ったところで、勘ぐられて結局は同じでしょう。でしたらむしろ、言葉は短い方がいい」
確かに、身内でも後見人でもない同年輩の男が出て行けば、それだけで受け取られ方は決まってくる。いくら効果の程が確かでも、絳攸が嫌がるわけだった。
「まあ、彼が紅姓を名乗って正式に、黎深殿の跡取りだと公表されれば、うちを怒らせてもと考える輩も出てくるでしょうが・・・」
『李』絳攸である現在、彼の立場は才ゆえに、紅家が後見している若者の一人に過ぎない。政に限らず各分野に、そうした者は数多くいる。
「うむ、そうだろうな」
劉輝は悲しく頷いて、この手が自分には使えないといった楸瑛の言葉に納得した。
同じことだ。
藍本家に睨まれても、王の子を生んで正妃に冊立される利の方が高い。
「やはり自力で逃げるしかないのか・・・・」
「頑張ってくださいね」
にっこり他人事の側近の余裕が恨めしく。
「しかし、そんな断り方をして、男色家の噂が広まったら藍家的にはまずくはないのか?」
ささやかに、嫌味を言ってみたが、
「今更色事絡みの醜聞の一つや二つ、増えたところで・・・」
愚問ですよと楸瑛は笑い飛ばした。
確かにそうだ。王のところまで筆頭女官が嘆きにくるこの目の前の男の行状も大概だが、かの三つ子当主が貴陽にいた時代の逸話もなかなかだと聞いている。
・・・・まあ、醜聞に関しては、劉輝とてあまり人のことは言えない。少し前までの己を思い出し、あれがなければ秀麗との関係も、色々と違ったのだろうかと思いをはせた時。
かすかに遠い目をして楸瑛が、
「まあこれが、紅家当主と争ってでも奪い取りたいとか、いっそ家に入れて藍姓名乗らせたいとか、そこまで行ったら当主案件でしょうけれどね・・・」
そんなことを言うので。
劉輝はまじまじと側近武官の顔を見てしまった。
「例えばの話ですよ?本気で考えたわけではありませんからね」
すぐに楸瑛はいつもの顔に戻ってしまったけれども。
「ううむ」
劉輝はなんとも言いようがなく頷いた。
絳攸を藍家に入れるなんて、秀麗を再び後宮に迎えるの以上に困難な気がする。仮でもなんでも、そんなことまで夢想したということは。
「・・・・・そ、そうか・・・・ 楸瑛は余が思っていたよりも、絳攸に本気だったのだな・・・・」
それは結構な驚きだ。
自分が目の前にいるときでも構わず、しょっちゅう口説いているのは知っていた。ただそこには切羽詰った様子が全くなくて、どこまで真剣なのかはたまた完全にからかいなのか、傍でみていてもさっぱり分らなかったのだ。
だがこの様子では、本気も本気、「うかつに手も出せないほど本気」というのが正解だったらしい。この手の速さで有名な色男が。
劉輝はなんとなく嬉しくなった。目の前の出来すぎの側近に、かつてない程親近感を覚える。
「大丈夫だ、楸瑛。藍家には入ってくれないかもしれないが、絳攸はきっと楸瑛が好きだぞ。なんといっても、楸瑛はいい男だからな!」
にっこり笑って保障したのだが、聞いた楸瑛は非常に複雑な顔をした。劉輝の励ましは、嬉しくはなかったらしい。
「・・・・・・・・・・余は、何かまた言葉を間違っただろうか?」
言葉遣いがおかしいと日頃から突っ込まれがちな劉輝だが、なぜか特に、慰めの類は外すことが多いらしいのだ。またやったかと情けなく尋ねた顔を見て、楸瑛が苦笑した。
「いいえ。ただ少し、わが身を省みてしまっただけですので、お気になさらず」
気にするなと言われても、と首をかしげる劉輝の頭を、楸瑛がぽんぽんと軽く叩く。主君に対する扱いでは全くないのだが、弟扱いされているようでなんとなく嬉しい。いつでも親愛の情に飢えている年若い王は、釈然としない気持ちごと不問にした。
「主上も、だんだんいい男におなりですよ。秀麗殿に、早く気持ちを受け入れてもらえるといいですね」
先ほどより、よほど情のこもった応援を貰って、
「うむ。余も頑張るのだ」
劉輝は力強く頷いた。
・・・・・・・そんなこんなで休憩が長引いた結果、絳攸の残した仕事は時刻までに間に合わず。
見張っていなかったかどで楸瑛も、劉輝ともどもお小言を喰らったのは言うまでもない。
<後書き>
原作で、楸瑛はよく絳攸の見合いを「代わりにうまく断ってあげた」ようなことを言っているけれども、それってどうやって?という疑問から書きました。
この設定なら、できあがってから言うのは無粋かねーとまだできてない設定にしたら、劉輝に親近感を抱かれる結果に。
あれれ? 一緒にされて、楸瑛はとても不本意だと思います。
・・・・・でも、原作で匂わされているように、楸瑛がまだ「本命(当サイトではあくまで絳攸)」を口説けてないと劉輝が知ったら、絶対お仲間認定されると・・・・・
とここまで書いて気づきましたが。原作では静蘭や黎深さま、いやあの性悪太師までもが、本命にだけは手を出せてないのですね。みんな頑張れ。