過去拍手御礼1
(別名:お風呂二題)
1.楸瑛→絳攸
今日は蒸すから、飲む前に一風呂浴びておいでよと楸瑛が言った。二人で王宮を辞す前に先触れを出して、用意をさせておいたらしい。
手回しの良いのはいつものことで、実際この日の蒸し暑さには辟易していたから気遣いは嬉しかったものの、妙に楸瑛が嬉しそうなのが気になって。何か悪戯でも仕掛けてあるかと身構えていたが、考えすぎだったらしい。
さすが藍本家貴陽邸、桧の香りも高い風呂場はゆったりとして、窓から見える中庭の風情も素晴らしい。一日の疲れも眉間の皺もすっかり取れて、絳攸はゆったりとくつろいだ。
湯から上がれば脱いだ服は取り片付けられて、楸瑛のものらしい着替えが用意されている。たかが一重の夜着なのに、濃藍の絹仕立てという贅沢さに瞬時眉を顰めたが、普段から着るものには意匠を凝らす友人のことだ、これも普段着かもしれないと素直に借り着することにした。
案内された先の離れには、どこか別の場所で湯浴みを終えていたらしいこの家の主が、やはり寛いだ格好で絳攸を待っていた。窓も戸も全て開け放った室内は風通しもよく、贅を尽くした肴も良く冷えた酒も最高に美味い。気の置けない相手と過ごす時間は楽しくて。
――――絳攸は、その時纏っていた服が、借り着にしては身丈にぴったり合っていたことも、その夜楸瑛が一際上機嫌だったわけも。とうとう、気づくことはなかったのだった。
2.絳攸→楸瑛
たまには家に飲みに来ないかと誘われて、楸瑛は心嬉しく応じることにした。
知り合った頃には何が気に入らないのか、話しかけても突っかかられてばかりで。その反応も楽しくて構い続けていたけれど、次第に親しく心許してくれるようになった今は、ますます彼に惹かれている。
本当は親しい友よりも更に深い仲になりたいのだが、相手は何しろ李絳攸だ。真面目で純情で、愛されることを切望しているくせに、そのことにだけ臆病で。張り巡らせた毒舌で身を守っている意地っ張りな彼。
焦りは禁物、逃がしたくない魚にはゆっくりゆっくり近づいて、脅かさずに包囲を縮めてゆくに限る。
絳攸の私邸(紅本家とは地続きだが、一応塀を建てて別敷地という構え)につくと、絳攸は湯を沸かしてあるから入って来いと言った。先日楸瑛の家に呼んだ時の、お返しのつもりであるらしい。
自分にもこの程度の気遣いはできるのだと言いたげな、ちょっと得意そうな顔が微笑ましくて、もちろん楸瑛には断る理由はない。
幾度かこの邸に来たことはあったけれども風呂を借りるのは初めてで。滑らかな石造りの湯船に浸かって、大きく切られた天窓から見える星空を楽しんだ。
風呂上りに用意されていたのは地味な色だけれども手触りのよい服で、焚き染められた香の品の良い香りがした。
自分に向けられた心配りが嬉しく、想い人を前に飲む酒はただひたすらに幸福で。
――――その頃通いつけの妓楼の移り香に、絳攸が密かに気を悪くしていたことを。己の片思いだとばかり思っていた楸瑛が知るのは、まだかなり先の話だった。
【了】